コラム

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終戦直後 あの文豪も見た屋根のない東京駅 みんなのお宝写真館(31) 

終戦から2カ月後の東京駅丸の内口。左端が桧山英子さん=1945(昭和20)年10月

 

新時代を予感させる母のワンピース姿

今から75年前、終戦直後の東京駅前。
並んで写る4人の背後に、レンガ造りの丸の内駅舎がある。よく見ると、3階の窓の向こう側が明るく見える。
空襲で屋根が崩れ、3階部分は外壁だけを残して焼け落ちたため、空から日光が差し込んでいるのだ。

この写真は、東京都板橋区の桧山英子さん(94)から寄せられた。1945(昭和20)年10月に撮影された写真だ。
英子さんは当時、東京帝大医学部付属医院(現在の東大医学部付属病院)の看護師だった。
都の要請で、感染病の予防接種を実施するため、教授らとともに東京駅に出向いたときに撮られたという。

終戦から2カ月。もんぺ姿の女性がまだ多い中、英子さんは、ワンピースを着ている。
「戦争が激しくなる前に上野の松坂屋で買ったものです」
数回着ただけでずっと行李(こうり)の中に入れたままだったが、この日、久しぶりに袖を通した。

英子さんの写真のデジタル保存を決めたのは、長男で文芸評論家の幹人さん(57)だ。
幹人さんによると、志賀直哉の小説「灰色の月」に、ちょうどこの写真と同じ45年10月の、屋根がない東京駅の描写が出てくるという。
「志賀直哉が見たのはまさにこの光景か、と胸が熱くなりました」

幹人さんは、母と一緒に写っている東大病院の教授が、背広の右ポケットに右手を入れている姿にも注目する。
「これは当時の英国紳士の定番ポーズ。終戦直後の大混乱の中にもかかわらず、さっそうと紳士のポーズを決める姿が、母のワンピース姿とともに、新時代到来の予感を印象づける写真です」

 

丸の内駅舎が写ったもう一枚を見ると、本来ならドーム状の屋根があったはずの部分が完全に失われていることが分かる。右から3人目が桧山英子さん=1945(昭和20)年10月

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