コラム

COLUMN

江戸の華に心躍らせて 昭和20年代の隅田川花火 みんなのお宝写真館(32)

隅田川に浮かべた舟で花火が始まるのを待つ人たち=1954年7月

 

150万人が9千発に酔いしれた夜

隅田川に連なる舟の上に、鈴なりの人・人・人…。
浴衣姿の少女は、これからあがる花火が待ち遠しくて仕方なかった。1954(昭和29)年7月、当時小学4年生だった南波孝子さん(76)=山梨県北杜市=らが隅田川の花火を見に集まった。

地方から上京して働く若い従業員らをねぎらうため、母の勤め先の会社が舟を用意した。
従業員や南波さんの兄など十数人が、午後3時ごろ舟に乗り込み、隅田川の観賞地点に向かった。
花火の打ち上げは日暮れからだが、場所取りのためずいぶん前に出発し、仕掛け花火の前に陣取ることができた。
「同じような舟が左右にずらーっと並んで、橋の向こう側まで相当の数がありました」と南波さん。

実際、この年の花火は大にぎわいだったようだ。
7月25日付の朝日新聞朝刊は、「隅田川べりに集った人の波は、警視庁警戒本部の調べでは約百五十万、川面をうめた小舟およそ六千、ともに戦後最高の記録。九千発の打揚げ花火、八十台の仕掛花火が夜空を彩った」と報じた。

花火を待つ間、のり巻きやスイカを食べ、舟の上で歓談した。
「食中毒にならないよう、かっぱ巻きやかんぴょう巻きでしたが、とてもおいしかったですね。大人の男性はビールを飲んでいました」

そして、お待ちかねの花火。号砲の後、あたりが暗くなると次々と打ち上げられた。花火の色は今ほど多くなく、形もシンプルだった。
江戸の華に見とれ、心が躍った。「花火が始まるまでの待ち時間が飽きてしまうほど長くて、帰るころにはくたびれてしまった」のも思い出だという。

中学生になると、同じように舟を準備してもらい、潮干狩りにも出かけた。東京湾の三番瀬でアサリをたくさん採り、舟の上でみそ汁にしてもらい、食べたという。

南波さんは都内の高校を卒業後、問屋で経理をしながら英語の専門学校に3年通い、外資系の香料会社に入った。
調香師のフランス人上司に鍛えられ、語学力に磨きをかけた。その後、外資系の建材会社に転職し、システム担当なども務めた。

退職後、母が施設に入ったのを機に、2004年に山梨県北杜市に移住。地元の友人とピラティスやハイキングするなどリラックスして日々の生活を楽しんでいるという。
自身の「終活」の一環で、たくさんあったアルバムの整理をしようとしたところ、「ニッポン写真遺産」をネットで知り、写真のデジタル化を進めることにした。
「写真をただ捨てるのはもったいない。デジタル化しておくと楽ですね」と話している。

 

冒頭の写真と同じ方向を撮った現在の隅田川。すみだ郷土文化資料館によると、両国橋と新大橋の間で撮影したとみられるという。奥に見えるのが新大橋で、1954年当時はトラス橋だったが、77年に現在の斜張橋に架け替えられた=2020年8月

 

舟の上でのり巻きを食べた。奥にいる浴衣の3人の少女のうち、左が南波さん=1954年7月

 

隅田川に浮かべた舟で花火が始まるのを待つ人たち=1954年7月(2枚の写真をつなぎ合わせています)

 

上の写真と同じ方向を撮った現在の隅田川。遊覧船や水上バイクが行き交っていた=2020年8月

 

打ち上げ花火のほか、広告を兼ねた仕掛け花火もあったという=1954年7月

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