コラム

COLUMN

親子3代で薬局経営 出発点は旧満州 みんなのお宝写真館(36)

左端の少女が二口さんの母・順子さん。和服姿で座る3人の女性の中央が祖母・久枝さん
=旧満州・新京で1939年ごろ撮影

 

期せずして大役 バトンつなぐ

セピア色の家族写真が、薬局とともに生きてきた一家の出発点を写していた。岡山市の二口(ふたくち)雅子さん(61)の母が、旧満州の新京(現在の中国・吉林省長春)で撮られた写真を大切に保管していた。

二口さんの祖父・東昇(ひがし・のぼる)さんは職を求めて満州に渡り、1937年(昭和12)ごろには役所勤めをしていたが、その後退職し薬局を開業した。関東軍に薬箱を納入して、経営が軌道に乗ったという。

二口さんの母・山田順子さん(87)は、祖父の薬局が成功したおかげで、お姫様のように育った。きれいな着物をたくさん買ってもらい、踊りや琴を習った。家には使用人がたくさんおり、「足を差し出せば、履物を履かせてくれた。習い事には、サクランボを食べながら馬車で出かけ、床を種だらけにした」と当時の思い出を懐かしそうに話した。

豊かだった暮らしは、日本の敗戦で一変した。祖父は軍に協力したことから捕らわれそうになったが、祖母・久枝さんが地元の有力者に金を渡したこともあり、難を逃れたという。祖父は、満州各地から着の身着のまま避難してきた人たちを、日本への船が出るまでの間、薬局で世話した。「公のために働く人だった。温厚で人徳があり、現地の人が助けてくれて捕まらなかったのだと思う」と二口さん。

一家は46年に帰国、祖父は熊本県庁で薬務行政に携わっていたが、51年に亡くなった。生活に困った祖母は、たばこを売ったり着物を染色したりして、一家の生活を支えた。二口さんの母は、県庁で祖父の部下だった薬剤師と結婚した。二口さんの父になる山田博章さんで、宮崎県小林市の病院に勤めた後、77年に調剤薬局を開業した。

母は、二口さんに満州時代の話を繰り返し聞かせた。植民地支配の上に成り立った、ぜいたくな暮らしを「世が世なら・・・」と懐かしむ母に反発したこともあったという。母は結婚してから始めた華道で教授にまでなり、多くの生徒を育て慕われた。

二口さんと姉は、熊本大薬学部を卒業し、薬剤師の資格を取った。二口さんは24歳で小児科医と結婚。夫が小林市で医院を開業したのとほぼ同時に父が亡くなり、ともに出産したばかりだった姉妹が調剤薬局を引き継ぐことになったという。薬局の仕事から医院の経理まで、必死にこなした。10年ほどで閉店したが、期せずして親子3代が薬局経営に関わることになった。
「3人の子育てをしながら、大変な思いをして働いた。父が残した薬局だったから」

母の家を整理するにあたり、大量の写真とアルバムが出てきた。片付けに悩んでいたところ、ニッポン写真遺産のサービスを知ったという。「写真を整理することで、いろいろ考えるきっかけになったし、データ化してすっきりした。本当にいいサービスだと思います」と話している。

 

二口さん(奥)と母の順子さん

 
(この写真をもとにした記事が、2020年10月7日付朝日新聞夕刊(大阪・西部本社版)に掲載されました)

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