コラム

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ご先祖様は初代広島市長 3カ月で辞職の理由は みんなのお宝写真館(37)

初代広島市長の三木達。掛け軸の肖像画を接写したとみられる

押しつけられ就任 権力闘争嫌う

和服姿で正面を見据える鋭い目。広島藩主お抱えの医者という異色の経歴を持つ、初代広島市長・三木達(みき・あきら)だ。このリアルな肖像画は、東京都渋谷区に住む子孫の家庭から見つかった。親族だけが知る、市長をわずか3カ月で辞職したエピソードもあった。

この肖像画を接写したプリント写真が、東京都渋谷区の三木泉さん(61)からニッポン写真遺産に寄せられた。泉さんの4代前の先祖で、高祖父にあたるのが三木達だ。

三木は1831(天保2)年生まれ。広島藩医の後藤松軒から学び、藩主・浅野家お抱えの医者になった。「奥の三木」と呼ばれ、主に女性を診察していたという。

廃藩後は医院を開業し、72(明治5)年には、緒方洪庵に蘭方医学を学んだ後藤静夫らとともに、県内の病院や医学校の先駆けとなる「躋寿館」(せいじゅかん)を創設した。後に広島医会の会長も務めるなど、広島の医療の発展に貢献した。

市制施行後の89(明治22)年6月に広島市会議員に当選。第1回の市会で議長に選ばれた。当時、市長は公選制ではなく、市会が推薦した候補者の中から裁可される仕組みだった。
最初の候補者が辞退してしまったため、7月に再び市会が開かれた。100人を超える傍聴人が見守る中、すったもんだの末に3人の候補者が決まり、そのうち議長だった三木が裁可された。

同年8月31日付の東京朝日新聞は1面で、「広島県広島市長候補者中三木達氏は昨日市長就任の裁可を得たり」と報じている。

だが、市長就任後、わずか3カ月で辞職してしまった。「病弱のため」と公式には記録されているが、三木家に伝わっている話は違う。「達さんは議長として、市長選びに責任があったはず。選んだ人が辞退してしまい、押しつけられる格好で渋々自分が市長になった。辞めたのは病弱が理由ではなく、権力闘争に嫌気が差したからだと聞いている」と泉さん。

一方、市長の報酬が十分でなかったのも辞職の理由だとする指摘もある。

名のある先祖を持ったことについては、「先祖の顔に泥を塗るようなことをするなと、育てられたし、そのように生きてきた。どんな状況でも、達さんが先祖であることが支えになった」と話す。

泉さんの父で、三木のひ孫にあたる亮(りょう)さん(90)=和歌山県海南市=は、三木家の蔵書のうち医学書以外の史書・儒学書を受け継ぎ、229冊を2005年に和歌山県立文書館に寄贈した。同文書館は、「明治以前の発行のものも含まれ、三木達時代からの蔵書の可能性もある」としている。

泉さんは、亮さんからアルバムやネガを「処分してほしい」と託されたが、「中身を確認しないと処分していいかわからない」と、ニッポン写真遺産にデジタル化を依頼した。原板が大量だったため見積金額に驚いたというが、思い切ってデジタル化したという。「DVDに入ったデータが原板の代わりになるし、必要なときにプリントできる。原板は、おたき上げして少しずつ処分したい」と話している。

 

小学6年生の三木泉さん。修学旅行先で撮影した

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