コラム

COLUMN

横綱の胸借りて土俵開きで稽古 松山・旧制新田中 みんなのお宝写真館(38)

照国・前田山らと記念撮影する生徒ら=松山市の旧制・新田中で1943年11月29日撮影

若き日の照国・前田山の姿も

回し姿の少年と力士らの記念写真。稽古を控え、蹲踞(そんきょ)する少年は緊張しているように見える。松山市の旧制・新田中学校(現・新田高校)での土俵開きの一コマだ。ゲストに招かれた第38代横綱・照国と後に第39代横綱になる前田山の若き日の姿も写っていた。

同校の卒業生である三木亮さん(91)=和歌山県海南市=が保管しており、写真の整理を託された娘の泉さん(61)=東京都渋谷区=が、朝日新聞社の写真デジタル化サービス「ニッポン写真遺産」に寄せた。

同校の記録によると、土俵開きが行われたのは、1943(昭和18)年11月29日。当日は、全校朝礼を行った後、土俵の周りに生徒を集め神事を行った。

当時、大関だった前田山は、弟子5人を連れ午前9時25分に来校し、相撲部の生徒に稽古をつけた。横綱・照国は少し遅れてやってきた。前田山や生徒らと記念撮影した後、10時半ごろまで稽古をつけたという。照国には300円、前田山には200円、弟子にはそれぞれ10円の謝礼が支払われた。力士たちは、午後に行われた松山での巡業を終えると、次の巡業先で前田山の出身地の八幡浜に向かったという。

新田高校の越智聖司(おち・せいし)教頭(60)は、この写真を見たとき「現役の力士とは思わず、当時の生徒にしては体格がいいなと思った」と話す。調べたところ、校内にも同じ写真が残されており、三木さんが持っていた写真は、土俵開きの記念に生徒に配布されたものではないかという。

当時、新田中は開校5年目で、学校の施設を次々と整備・拡充している時期だった。土俵もその流れで造られた。相撲部は昭和40年前後に廃部になったらしく、土俵も現存しない。

新田中は、海運業で財をなした新田仲太郎が創設した。新田の回顧録によると、松山には中学校が2校しかなく、入学できない希望者が2000人もいた。38(昭和13)年に愛媛県知事の古川静夫に熱心に頼まれ、私財を提供して開校することにしたという。現在は約1700人の生徒を抱え、部活や進学で実績を上げる名門校として知られるようになった。

土俵開きの写真は、旧制・新田中時代に本館だった建物で、今は記念館となっている「たちばな館」に飾られており、新田高校の歴史を物語る貴重な史料になっている。

 

右から3人目が照国。中央のネクタイ姿の男性が新田中創設者の新田仲太郎。左から2人目が前田山=松山市の旧制・新田中で1943年11月29日撮影

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