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祖父の「美人ジュース」が大ヒット 日本舞踊も熱心に みんなのお宝写真館(39)

女性用の着物を着てポーズをとる高谷林三郎さん(中央奥)。写真には「大正13年皇太子御成婚記念」とメモされていた。

大阪で「勝負」、不動産業にも進出

女性用の着物姿でポーズをとる4人。1924(大正13)年、皇太子(後の昭和天皇)の結婚を祝って日本舞踊を披露した際に、街の写真館で撮影したらしい。この写真をニッポン写真遺産に寄せたのは、兵庫県宝塚市の安達三有希さん(53)。写っているのは安達さんの祖父で故・高谷林三郎さんだ。

安達さんによると、林三郎さんは淡路島出身で1900(明治33)年生まれ。若くして飲料を売る事業を始め、「ひと勝負したい」と36年ごろに大阪に移り「高谷鉱泉所」という飲料製造の会社を興したという。「美人ジュース」というネーミングの清涼飲料水を売り出し、大ヒットした。安達さんが母・高谷千代子さん(91)に聞いた話では、林三郎さんは手提げかばんいっぱいに株券を持っており、不動産業にも乗り出して52軒分の家賃収入を得るようにもなるなど、ジュースが売れて一気に羽振りがよくなった。

林三郎さんは若い頃から趣味の日本舞踊に熱心で、会社の従業員全員に踊りを習わせていた。「なんで事務員さんが踊っているのかな」と幼い安達さんは奇妙に思っていたという。自身も3歳になる前から稽古を始め、年2回の発表会や介護施設で披露するなど腕前を上げた。

美人ジュースは林三郎さんが72年に他界した後も、安達さんの父が会社を継ぎ、生産が続けられていたという。ジュースは無果汁のオレンジジュースのようだったといい、「美容に良い成分は配合されていなかったようです。『美人』は、おいしさを提供するという意味で使われたのでは」と安達さん。

幼い頃には、遊びがてら工場に行って、瓶の王冠を締める手伝いもしたという。工場には、原料を調合するための天秤やビーカーがたくさん並んでいた。大学で理系の専攻を選んだのは、そんな楽しかった子どもの頃の思い出があったからだという。研究職として入社したのが「美人」に欠かせない化粧品会社だったのも不思議な縁だ。

写真のデジタル化を思い立ったのは、2015年に父が亡くなり、母も高齢になったため家族の思い出を残したかったから。かさばるアルバムを整理し、デジタル化した写真を母にプレゼントすることもできた。

完成したテレビ用DVDを見せると、母が意外な反応を見せた。加齢のためか普段は言葉少なだが、50年以上前に撮影した時の状況や写っている人の名前を、昨日のことのように話し始めて驚いたという。家族や自分の古い写真を見返すことは、「脳を活性化したり刺激したりする効果があるのでは」と話す。

 

若い頃の高谷林三郎さん

 

「美人ジュース」の瓶。下の方に「高谷林三郎謹製」の文字が刻まれている=和泉猛嗣さん提供

 

子どものころの安達さん。会社の前で昭和40年代後半~50年代初めに撮影。

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