コラム

COLUMN

2018/10/10

みんなのお宝写真館(8)

写真中央がケイさん。産出した石炭を洗う「洗炭場」で働いていたという=1950年ごろ撮影。高洲さん提供

■炭鉱の時代を生きた祖母
すましたポーズをとる頭巾姿の3人の女性。座っているのは石炭の上だ。この写真は、国内最大の無煙炭の産出量を誇った大嶺炭田(山口県美祢〈みね〉市)の山陽無煙鉱業所で、1950年ごろに撮影された。

同市の高洲建雄(たつお)さん(61)は、今年4月に初孫が生まれたのを機に、子どもたちに写真を引き継ぎたいと、貼り付け式アルバム7冊、ポケット式アルバム71冊を「ニッポン写真遺産」でデジタル化した。その中に、亡き祖母ケイさんの写真もあった。

1908(明治41)年生まれで同県下関市出身のケイさんは、夫の戦死を受け「家族を養わねば」と、戦後すぐから山陽無煙鉱業所で働き始めた。写真の場面は、カメラを買ったばかりの同僚が昼休みに「撮っちゃろうか」と声をかけてきて写されたものだという。

ケイさんはその後、炭鉱を運営する宇部興産の系列病院などに異動し、55歳の定年まで勤め上げた。

建雄さんは、炭鉱がにぎやかだった頃の社宅で幼少期を過ごした。しかし、石炭から石油へのエネルギー革命で、街は徐々に活気を失う。小学1年で3学級あった学年が、6年では2学級に。「高学年になると、転校する子が朝礼で何人か並んであいさつする儀式が毎週のようにあった」

70年に山陽無煙鉱業所は閉山。ケイさんは85年に亡くなった。

今の美祢市では、炭鉱で働いた経験のある人は少なくなった。建雄さんは「祖母からはよく炭鉱の仕事の話を聞いた。その時は何とも思わなかったが、今となっては貴重な話ばかり。とてもありがたく思っている」

炭鉱近くの社宅前に立つ、小学1年の高洲建雄さん=1963年撮影、高洲さん提供

社宅の跡地に立つ高洲建雄さん。今は太陽光発電施設になっている=2018年7月、山口県美祢市

 

(2018年8月21日付朝日新聞夕刊掲載)

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