コラム

COLUMN

みんなのお宝写真館(14)

満鉄の社宅で同僚らとトランプに興じる井上さん(右から2人目)=1940年ごろ撮影

■旧満州「映画のような生活」 夢にあふれた青春時代 過酷な運命知らず

大正・昭和・平成を生きてきた95歳の女性が、新たな時代を前に、青春時代のアルバムをデジタル保存することにした。夢にあふれた旧満州(現在の中国東北部)での生活と、戦争に翻弄された苦難の記録を、きちんと子や孫に伝えたいという思いからだ。

色あせた赤い表紙のアルバムに、印象的な一枚がある。トランプで遊ぶ5人の若い女性と1人の少年。朗らかな笑顔からは、この約5年後に起こる過酷な運命は想像もつかない。

アルバムの持ち主は、大阪府吹田市の井上ツギ子さん。この写真は、井上さんが南満州鉄道(満鉄)の撫順炭鉱総務局庶務課に勤務していた1940(昭和15)年頃、社宅で同僚たちと撮ったものだ。

井上さんは熊本生まれ。女学校を出た後、どうしても事務の仕事がしたかった。でも、地元には求人がほとんどない。そんな中、満州在住のいとこから「満鉄なら事務員の職がある」と聞いた。両親を説き伏せ、39年に満州へ渡った。

満州での「独身OL生活」は、夢かと思うほどモダンだった。ヒールのある靴を生まれて初めて履いた。休日はハイキングやピクニック。「映画でしか見たことがないような生活が満州にはあったんです」

社宅は鉄筋コンクリート2階建て。その1階の住戸にいとこ一家と暮らした。まず、水洗トイレに驚いた。観葉植物を置く棚もあった。3DKの間取りは機能的で、「結婚して家を建てるなら、これを参考にしたいと思ったくらい素敵でした」。

しかし、41年に太平洋戦争が始まり、42年には熊本の兄に召集令状が届く。戦況の悪化を心配した両親は帰国を強く説得。井上さんはこれに応じ、満州生活は約3年で終わった。

もし終戦の45年夏まで満州にいたら、厳しい状況に置かれていたはずだ。戦後、命からがら帰国した元同僚の話では、ソ連兵が近くに来たと聞くと天井裏に隠れ、性的暴行の被害を避けるために頭も丸刈りにしたという。もちろん身一つでの帰国で、アルバムを持ち帰る余裕もなかったそうだ。

ひと足早く帰国した井上さんは、アルバム2冊を持ち帰れた。しかし、45年7月の熊本大空襲で1冊が焼失。残った1冊に収められていたのが、この写真だ。アルバムの中の何枚かは、終戦後に帰国した元同僚たちに分けてあげた。

井上さんは「両親から『帰ってこい』と言われた時は『え、なんで』と思ったけれど、そのまま満州にいたらどんな目に遭っていたか。今となっては両親に感謝しかないですね」と振り返った。


社宅には観葉植物を置く棚もあった。その前に同僚らと並ぶ井上さん(写真右端)=1940年ごろ撮影


満鉄の撫順炭鉱総務局の会議室。昼休みに誰もいないのを見計らって撮影した。中央が井上さん=1940年ごろ撮影


ひな祭りで社宅に同僚らと集まったときの一コマ。写真右端が井上さん=1940年ごろ撮影


満州から持ち帰ったアルバムを開く井上ツギ子さん=2018年12月撮影

(2019年2月25日付朝日新聞朝刊(大阪版)に掲載)

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